2019.03.31

これは、思い出を語る感動の記事でも、だいすきな自担への愛を語る記事でもなんでもない、ただのわたしのじゃにおた人生を記録したものです。読む価値はないですUターンは今のうちに(^q^)














◆ 2007年7月

中2の夏。ジャニーズとの出会い。
はじめてすきになったジャニーズは、山田涼介くんだった。後に「永遠の新規」として嫌われる、探Q出。笑


◆ 2008年9月

担降りという文化をはじめて経験した中3の秋。
動いている姿をみたわけでもない、声も性格もしらない。はじめて雑誌に載った子が気になって仕方なかった。中島健人くん。ここから7年間担当をすることになる。


◆ 2009年12月

もうひとり、とあるジャニーズJr.をすきになった。黒歴史のはじまり。高1の冬。
すきになった理由は、当時すきだったクラスメイトに雰囲気が似ていたから。笑 いまはまったく似ていない。ただ髪型が似ていただけだった。

すぐ感情が顔にでるひとだなとおもった。気怠そうに踊っているところを何度もみた。チャラさが全身から滲みでていた。

担当としてはみれなかった。だから降りようという考えは微かもなかった。そもそもアイドルとしてみれなかった、アイドルをしている姿しか知らないのに。「すき」はどんどん間違った方向へ進んだ。「応援したい」ではなく「全てを知りたい」とおもった。ごめんね。


◆ 2011年11月

高3の冬。自担がデビューした。
ふと、戻ろう、とおもった。健人くんを応援している時間はわらってばかりでしあわせだった。

彼のことは、みないように意識した。テレビも彼の出番はとことん避けた。もう交わることのないように過ごした。


◆ 2014年7月

彼に駅で遭遇した。だいすきだとおもった。


◆ 2015年3月

長妻怜央くんに出会った。天気がよくてまだ肌寒かった、福岡。


◆ 2015年8月

健人くんはじめてのソロコンサートが開催された。
そのバックには、長妻くんがいた。ソロコンサート最終日、わたしは2度目の担降りをした。

長妻怜央くん。いまも変わらず、世界でいちばんだいすきなひと。

行くのを避けていた少年倶楽部の収録も行くようになった。だれも壊してくれなかったわたしの黒い壁を、長妻くんはいとも簡単に飛び越えてくれた。


◆ 2016年5月

長妻くんに突然、グループらしきものができた。
もし神様が存在するのなら、なんてイジワルなんだろうとおもった。交わらないように、同じ過ちを繰り返さないように必死に遠ざけていたのに。「正式なグループじゃありませんように」という当時のわたしの願いは、虚しく散った。

Love-tune。ネーミングセンス皆無な事務所なのに、とってもかわいい名前。通称らぶ。





怒涛の日々のはじまりだった。本人たちもおたくも忙しい日々を駆け巡るにつれて、どんどんLove-tuneがすきになった。ずっと7人でいてほしい、ずっと7人のLove-tuneについていきたい、おなじ未来を、夢をみたいと願った。


◆ 2018年11月30日

"Love-tune"というグループ名が誕生してから丁度1000日目、自担が事務所を退所した。

べつに突然でもなんでもなかった。

なみだは出なかったし、特に驚きもなかった。ただ「そっか」とおもった。


でも、もしかしたら自担を含む数名は事務所に残るんじゃないかとおもっていた。ジャニーズJr.のグループがなくなること自体は珍しい話ではないし、元々グループというよりソロでやってきたひとたちの集まりだったから。なにより、人生の半分以上をジャニーズ事務所で過ごしてきたひともいるなかで、全員が一致してその答えを出したことに胸が熱くなった。そうせざるを得なかったのかな。どれだけ悩んで苦しんで出した答えなんだろう。
退所の事実にプラスの感情は一切ないけれど、さいごまで7人が手を離さなかったことはうれしかった。




◆ 2019年3月31日

———とあるジャニーズJr.をすきになった。黒歴史のはじまり。高1の冬。





当時高3だったそのジャニーズJr.が、本日をもって事務所を退所します。



「すき」は行き過ぎると「きらい」になる。すきすぎて、だいきらいだった。でもきらいになんてなれずに、だいすきだった。


また数年越しにやっすーのアイドル人生に関わることができてほんとうによかった。長妻くんと、ずいぶん丸くなった笑やっすーが、同じグループになってくれてほんとうによかったよ。これもなにかの縁だったのかな。

間違ったことをたくさんした、迷惑もかけちゃったかもしれない。勝手にすきになって余計なことまで立ち入って、つらくて、すきにならなければよかったと何度も泣いた。わらっている時間より泣いている時間のほうが多かったかもしれない。



また出会えてよかった、またすきになれてよかった。


安井謙太郎くんは、最高のアイドルだよ!!!!!

いつもいつもその決して大きいとはいえない背中にたくさんの想いを背負ってくれて、言葉にして届けてくれてありがとう、おつかれさま。







































だいすきなひとたちが、いなくなってしまった。




(とおもっていたら、帰ってきた←)



思い返せばわたしは人生の選択を迫られたとき、いつもいつも理由はジャニーズだった。ジャニーズ中心の人生を11年半つづけていた。おかげで、ジャニーズがなくなってしまえばわたしの周りにはなにも残っていなかった。なんでも話せるような友達もいない、貯金もない、仕事も辞めてしまった。夢もやりたいこともない。

Love-tune最後の現場から、11月末までの約半年。ただひたすらに生きていたくないなあとおもっていた。寝てこのまま目が覚めなければいいのになあとおもっていた。生きる理由が見つからなかった。




———「僕たちはエネルギーであってすべてではないから」

ほんとうにその通りだね。それでもわたしは、あなたたちをすべてにして生きてしまったんだ。



でも、Love-tuneが出した「7人全員での退所」報告は悲しいお知らせには変わりないけれど、わたしに勇気をくれたよ。



だいすきなひとを理由に、自分の人生を立ち止まらせるのはやめよう。
だいすきなひとに、自分の人生を丸投げするのはやめよう。



ちゃんと自分の人生を生きようとおもった。

そうおもうとすべてを投げ出してみたくなった。自己満に過ぎないけれど、おなじタイミングで新しい門出を迎えたくなった。おなじタイミングならすこし力が入る気がした。新しい環境に踏み出すキッカケをくれてありがとう。






って感じで

おたくもりあるも含め、今までであったひとたち全員と、縁が切れる覚悟で姿を消すつもりでいたんだけれど。3/30までは。3月頭くらいから計画を練っていたんだけれど。さいごの日3/31に彼らは帰ってきました。おかえり。←

でもこの半年間で、いろんなことを考えた。いちばん大切なひとがわたしの前から姿を消して、失うのがこわいほど繋いでいたいものなんてなにもなかった。ひとりを痛感した。なにも持っていなかった。何気ない言葉にいらいらしてくだらないことで悩んで、もういっそ全てない方が楽だ。一方通行は自担にだけで充分だとおもった。

わたしがいなくなったところで誰も気がつかないだろう。

しれっと消えよう、そういう計画。




でもなんだか1年ぶりにだいすきなひとを、だいすきなひとたちを見て、たのしくなった。

だから、消えますと宣言して消えることにした(?)

TwitterInstagramも、鍵はかけないし簡単にみつかるとおもうのでもしあれだったら探してください。




7人を、そして7人に、出会わせてくれたジャニーズ事務所に感謝をこめて。今後のご活躍を陰ながら応援しています。今までありがとう、さようなら。



以上、メンヘラの戯言でした。goodbye!