Sexy Zone Happy 5th Anniversary!


Sexy Zoneデビュー5周年おめでとうございます!

5年前の2011年11月16日、Sexy Zoneが恵まれた環境なのか、だれが望んでいた環境なのかわからぬままに、いろいろなひとがいろいろな思いを抱えながらデビューを果たした日。
と言うわたしも、初回版Aの特典映像「Sexy Memories〜僕たちの歩んだ5年の軌跡〜」で風磨が言っていたように、当時の自担であった健人くんのそれまでの居場所はどうなるのか、答えはひとつしかなかったけれどそれがどうも気掛かりだった。B.I.Shadow*1での未来を描いていたところに、突然に現れ、徐々に存在感を増していったよくわからぬ小さい子3人。正直、”だれだこの子供たちは”と良い印象は持っていなかった。いや、マリウスだけは当時の健人くんが溺愛していたからすこし認識はあったかなあ。どうしてB.I.Shadowを消滅させ、Jr.歴も浅いちびっ子3人のお守りを、ふまけんがしなければならないのか、それがわたしの思いだった。そもそもふまけんは優馬w/B.I.Shadowで一度デビューを果たしている。優馬のおまけのように付けられ、都合の良いようにデビューさせ、それも大人の都合と言うやつなのか勝手になかったことにされ。そんな過去があるふまけんの前代未聞である二度目のデビューメンバーがこれか、と。とてもじゃないけれどデビューに対する喜びは、あるのかないのかわからないほどに小さかった。

デビューシングル「Sexy Zone」の売り方もなかなかに酷い、あの事務所らしい売り方だった。上記でも述べたように下3人はJr.歴が浅くまだファンもそんなに付いていないような子たち。ふまけんだっていきなりCDをリリースし、オリコン1位をとれるようなファンの数は持ち合わせていない。デビューシングル1位を勝ち取るにはこうするしか術はなかったのだろう、初回版A、B、C、D、通常版の5枚体制。更には買った数だけ握手会に参加できる、というもの。また、運が悪いのかなんなのかおんなのこ人気アイドルグループとCDリリースが被っていた。そこで事務所がとった策略もまたあの事務所らしい策略で、ありとあらゆる場所で先輩後輩、ジャニーズ総出の握手会を開催。たくさんのひとたちの力を借り、無事にオリコン1位を勝ち取り新聞にも記事になったことは覚えている。デビューシングルが無事に1位になったことに安堵はしたが、募るのはSexy Zoneへの嫌悪感。健人くんはだいすきだけれど、他のメンバーになんの恨みもないけれど、どうしてもグループをすきになれずにいた。



2011年12月23日、Sexy Zone握手会@大阪。わたしはここではじめて、Sexy Zoneはもちろん健人くんと握手することができた。わたしの言葉に対しての言葉を返す目の前の健人くんはあまりにかっこよく、あのときのドキドキはいまでも鮮明におぼえている。その数年後にはこの間近な距離にいる健人くんにも慣れ、平常心を保って友達のようにハイタッチできるようになるのだから、慣れってこわい、という話はまた後ほど。たしかこの日にSexy Zoneの口からファーストコンサートの決定が発表された。うれしかったなあ。Sexy Zoneがすきになれない、とは言っていてもこうして前に進むSexy Zoneのできごとに、涙するほど喜べていたのだからもうこの頃にはすでに受け入れ体制に入っていたのかもしれないなあ、といま考えると思う。

そして2日後の2011年12月25日、世間はクリスマスで浮かれている。そんな中、わたしはSexy Zone握手会@東京にいた。このクリスマスの握手会がオタク人生に語り継がれるのではないかと言うレベルで、とんでもなく過酷なものだった。まず、結論から申し上げると早朝からマリウスの労働時間制限ギリギリまでひたすら1日ならんで、ギリギリ滑り込み2ループだった。ちなみに大阪は7ループできたし、しようとおもえばもっとできた。でもこの過酷な握手会が、わたしのSexy Zoneに対する思いが180度かわった、大切なイベントになった。マリウスの時間制限が刻々と迫るなか、なにをどう話していたかなんて正直もう覚えていない、つーこさんがSexy Zone5人の思いを、裏で話し合っている思いを、並んでいるオタク側に伝えていた。まるで未来がみえているかのように、Sexy Zoneは「5人」で握手会をすることにこだわっていた。その話をきいたあとの握手会ラストスパート。このたった2日で何度か握手したけれど、このときのSexy Zoneは「握手会がたのしい、いつもありがとう」なキラキラな笑顔というよりは、「ぜったいSexy Zoneを成功させる」となんだかどことなく必死な、そんな笑顔だったようにみえた。オタクだけじゃなく、Sexy Zoneもいろいろな思いを抱えているんだろう、この子たちもきっと喜びの中に戸惑いや不安や、おなじように踠いているのかもしれない。わたしが良いようにおもっていなかった小さい子たち3人も、こんな小さな背中になにを背負っているんだろう、と何故だか涙がとまらなくなったこともあった。



迎えた2012年、お世話になったHey!Say!JUMPのバックとしての最後のお仕事。Sexy Zoneのファーストコンサート。セカンドコンサート。SUMMARY。みるみるうちにSexy Zoneは結束を固め、たのしそうに笑う「5人」の姿がたくさんみられるようになった。”ちびっ子3人のお守りをどうしてふまけんが”だなんておもっていたけれど、気づけばそんなちびっ子だった年下3人を差し置いてはしゃぐふまけんの姿がそこにはあった。

Sexy Zoneは順調だった、順調にみえていた、でもいつからかなにが歯車を狂わせたのか、これまた大人の都合ってやつなのか、だれが望んでいるのか需要がまったくわからぬ事態。
ぶっちゃけ言うと、わたしは健人担で、5人だろうが3人だろうが10人だろうが、健人くんの活動をみることができた。「5人」でいてくれるに越したことはないけれど、「5人」が1番いいけれど、セクシー界隈該当担と比べるとわりと冷めていた。それはわたしが、すこしSexy Zoneから離れていたから、なのかもしれない。



わたしは2015年8月に中島健人担を降りる、と公言した。それはもうきらいになったからとかそういうことではなく、健人くんよりも今後応援したいとおもう子が他にできたから。2008年から健人くんをみてきて、2011年からは握手会やハイタッチ会、ツアーとたくさんのお仕事があってたくさん触れ合うことができた。だからなのだろう、わたしは悪い方向に中島健人の存在そのものに慣れてしまった。すきだけれど、ドキドキしない。わたしの生活に存在していることが当たり前で、CDがリリースされれば買うし、テレビにでれば録画するし、ツアーが決まれば行く。すきでしていたことがいつの間にか義務になっていた。そんな自分に気づいていながらも、7年間みてきた情、それだけがわたしの健人担としてのきもちをずるずると繋げていた。でも初めて行われたソロコンサートLove Ken TVをみて、Jr.時代ずっとHey!Say!JUMPのバックとして立ち、後にSexy Zoneとして立っていたこのTDCをひとりで埋め、立派に健人くんの世界観に染めていた、そしてその世界観の背景と化していたいまの担当をみて、”このソロコンがおわったら降りよう”と、初日公演がおわると共にすんなりとおもえた。オーラス公演の健人くんの涙はあまりに予想外でおもわずもらい泣きしてしまったのだけれど(抱えていたのは長妻団扇)わたしの健人担だった7年間はさいごまで中島健人らしさが溢れ出ている7年間だったなあ、と。真っ白な衣装に包まれ、薔薇を抱え、涙を流している姿をさいごにわたしは長妻くんに降りた。健人くんのときにしてあげられなかったことと言うか、果たせなかった思いを代わりと言っては違う気がするけれど、それを長妻くんにしてあげられたらいいなあとおもっている。間違えても、だいすきなひとに変に慣れてしまうなんてことにはなりたくない。なんてわたしの担当事情はどうでもよくて。

なんやかんやで降りてからも、記念すべき「5人」での再スタートであったカラフルEyesのリリースイベントや、今年のファンミーティング、ツアーにも足を運んでいる。カラアイイベントで、「5人」のシルエットが映ったときの会場が割れるほどの歓声はこれからも忘れないだろう。
もうイベントのために!と何十枚と同じCDを複数買いすることも、WS含むテレビを片っ端から録画してわけがわからなくなることも、ツアーのたびに北は札幌、南は福岡と日本を横断することもなくなってしまった。カップリングどころか、シングル曲でさえ曖昧だったりする。でもSexy Zoneは、中島健人は、わたしのオタク人生において基礎をつくりあげてくれた大切なひとたちで、てっぺんに何れは立つべきひとたちだと本気で思っている。






あんなに心身共に子供だったちびっ子たちも、5年のときを経てとてもおおきくなった。日本語すらままならなかったマリウスも、右も左もわかっていなさそうだった松島も、勝手な大人の都合のおおきすぎる闇をふたりで抱え、乗り越えてくれた。ただ美しい顔を武器にセンターにポンッと置かれた勝利も、計り知れないプレッシャーを抱えていただろう。いつしか言っていた「右には健人くん、左には風磨くんがいたから、安心して前だけを向いていられた」(ニュアンス)なんて言葉は、誰しもが言えた言葉じゃないとおもう。幼きセンターも、今じゃSexy Zoneには欠かせないSexy Zoneの要だ。そして、ふまけんも。最年長、年上組とは言えど当時まだ高校生だったふたり。幼い子供たちの前に立ち、いやでも引っ張っていかなければならなかった。「当時の健人くんと風磨くんは、今の俺らよりずっとしっかりしてた」この言葉がきっとすべてなのだろう。共に悩み、励まし合い、時には話し合ってぶつかりあって、喧嘩して、また時には年下組を守ろうと先陣立ってくれていた。いまのSexy Zoneにつながっているのは、間違いなくふたりが全力で守り抜いてくれていたときがあったからだと、わたしはおもう。

けれどまだ5周年。先はまだまだ長い、これからもいままで以上のおおきな壁にぶちあたることだって、あるかもしれない。でもだれよりも「5人」にこだわり、信頼しあっている「5人」なら、きっと大丈夫、なんとなくそうおもえるのは何故だろう。
これから先、10周年も15周年も、20周年も、ずっとずっと「5人」でデビュー時のことを振り返りああだこうだ言い合っていてほしいなあ。いつまでわたしがこの日をお祝いしているかはわからないけれど、彼らにはずっと、しあわせな未来が続いていますように。

Sexy Zoneに幸あれ!!!!!

*1:Sexy Zoneの健人、風磨、現SixTONESの北斗、高地で当時結成されていたJr.の4人組グループ